やったね

神様

10/15に書いたけどアップし忘れていた 解釈について

昨日は久しぶりに塚田くんが1人でラジオに出ていた。グループでのラジオは毎週あるが、グループ内で喋る塚田くんより1人で喋る塚田くんの方が「塚田僚一」としての純度が高い気がするので好きだ。

家を出る準備をしながら聞いていたので細かいところはしっかりと覚えていないが、確かにハイテンションではあるけど流石にいつもよりは落ち着いて喋る塚田くんがなんだか新鮮でワクワクした。

担当教員と話しながら出た事

以前見かけたシートで好きなコンビのことを「平和」と言っている人がいた。わたしはその2人を「戦友」だと思っていたので、この後に及んでこのような言い方をするのはどうかと思ったが「解釈違いだな」と思った。生身の人間に解釈もクソもないので、私の言い分がおかしいのは当たり前だが、この「解釈」がどこから来るのかを考えると、まず最初に好きになった時に感じる「パブリックイメージの推し」に自分が見聞きした情報でなるべく純度の高いものを貼り付けていくのが「解釈」を深める作業になるんはないかという結論に至った。フィギュアに粘土を重ねるように複数のメディアや視点から語られる様々な塚田くんの情報を時には取捨選択し、なるべく純度の高いものを選んで既存のパブリックイメージの塚田くんに貼り付け、捏ねて、自分の解釈を作る。その情報の捉え方やどの情報を選ぶかによって同じ人物でも少しずつ異なるなと思った。

この貼り付ける情報が私はなるべく純度の高いものにしたいと考えているので自分で自分を語る場面であるとかメンバーが語る姿をなるべく参考にしたいと考えている。