やったね

神様

実習中に書き溜めていたこと(最初に注意有)

読んでいてあまり気持ちのいいものではないものもあるかもしれないです。

他人を消費する、をテーマに制作を続けている以上こういった感情も大切にしたいので割と思ったままに書いています。嫌いになった訳では一切ないです。(愚痴垢の常套句みたいで嫌だな、、、)

 

10/21

ラジオとか配信を見るのがとても苦手ということにやっと気づいた。配信が苦手なのはオフに近い状態を見せられることがあるかもしれないというのがあったけど(ふぉ~ゆ~の配信があまりにも見れなさすぎて有料会員を退会してしまった)ラジオはまだ声だけのメディアだったり、オンの中に素(オフではない)が垣間見れて好きではあるが、どうしてもリアルタイムができない。

映画をサブスクで観ようとしても観れないのに近い。

ラジオはこの時期数少ない露出であるので少しでも好きを確認したいと思っているのだが、ラジオを家で聴こうとすると改まってしまう。多分コロナで家にいる時間が多くなり、いつもラジオをながら聴きをしているから慣れないんだと思う。

あと、アイドルの肉声を摂取するときは(ここも肉)コンサートや舞台が大多数を占めるし、今までながら聴きをしていた場所は電車だったり外である程度自分も化粧したり「聴くぞ!」と思って聞いていたのもあるかもしれない。

10/22追記:今日やっと一昨日のラジオを家を出る時間で聴けた。ラジオとブログで自分の心境だったり一番クリアで新しい情報、気持ちが受け取れるので好きだとは思うけど。難しい。

アイスサスペンスを解けていないことに今気づいた。

担当教員と話して、いろいろな場面をいろいろな場所で撮れたら良いなと思った。実習が始まってしまうので、実習中に泊まる場所でひとまずいくつか撮ろうと思う。

 

やってみたいこと追加:うどんを作って食べる。

 

10/30

実習が始まり、始めての一人暮らしで何も出来ていない。色々と書きたい事が溜まりつつはあるが、アウトプットする時間もないしインプットも出来ていない。こんなに自担のことを考えない日々は中々ない。クリスマスコンサートが決まったが卒業制作でそれどころではない上にキャパシティがあまりにもなさすぎて行ける気がしない。円盤や配信してくれることを願うしかない。

 

ちょうど一週間前に、A.B.C-Zの主演映画が公開された。原案は2016年の舞台で以前観劇したものの続きとなっている。撮影自体が去年の11月で、公開まで約一年のブランクがあった。

割と色々な人が言っているが、作中に覗きのシーンが二回もあり、正直鑑賞中に帰りたくなった。女性ファンの観客が大多数を占めるこの作品で、主演の男性アイドル(しかも5人とも)によってヒロインの入浴を覗こうとする行為があまりにもグロテスクすぎると感じた。

このシーンの一部は映画の特報にも使われており、再生回数を伸ばすためにリストで何回も見た印象的なシーンだっただけにあまりにも残念だった。

私自身が、卒業制作で男性アイドル、ジェンダーホモソーシャル、消費について考えていた最中に、一番良くないシーンが公式に出てきてしまっている。

覗きのシーンは、風呂に5人が入っている時に流れる。

役者である彼らに100%非があるわけでもないし、監督のプロフィールからミソジニーの香りがしたり、映画の見所でメンバーの変顔と答えたところに若干の違和感を感じた時にもっとそういった事態を想定すれば良かったと思う(でも自担が助けという言い訳でヒロインの入浴シーンを見ようとする犯罪行為を1800円払って二回も観せられるのは流石に想定できない)

脚本家の作品は、数本しか見たことが無かったが、今年夏に放送された私の家政夫ナギサさんで、ジェンダーを超えた役割分担についてしっかりと表現出来ているように感じたので、去年撮影されたとはいえそういったシーンを書くとは思わなくてがっかりした。

もちろん好きなシーンもあるし、ラストの「雷神の舞」は鳥肌が立つくらい完成度が高いと感じた。役者陣の演技も自然で内容も(ある意味)考察しがいがある作品だと思うが、これからこの映画を純粋に楽しんで観れる自信がない。

 

コロナがなければ、この映画も「応援」上映していたんだろうなとは思うし、作中に応援したり声を出しながら観たいシーンがいくつもあったが、覗きのシーンや変顔のシーンはどういう風に見れば正解なのだろう。犯罪行為に対して応援は絶対にしたくないし、裸を出せば女性ファンは喜ぶと思われているようで腹が立つ。本当に覗きと変顔のシーンは必要なのだろうか。とモヤモヤしてしまう。

 

 

11/10

今週で実習が終わる。

高校は一コマ45分で終わる。演習授業なんかでは慣れたと思ったらすぐに授業が終わってしまう。

コロナの影響で、部活動もすぐに帰らされてしまう。生徒たちを見ると、筆が乗ってきた頃に帰らされているように感じる。何と無く筆が乗る前に帰ってしまっている生徒もいる。名残惜しい気持ちで帰りたくないのだろうか。

 

この3週間はほとんど実習と、生きる為に頭を使っていたので3週間ほとんど何も出来ていない。家に帰って洗濯物を干し、ご飯を作り、日誌を書いて1日が終わる。

こんなに塚田くんのことを考えずに過ごす日は中々ない。卒業制作の為に、クリスマスコンサートは行かないことにした。アイスは全く食べれていない。ブログは毎日チェックして生きていることは確認できている。映画からやっぱり色々と意識が変わってしまっているのかなと少し悲しくなっている。

担降りは全く考えていない。だけど、何をすればいいのか本当にわからない。何をどうしても勝てないのだ。コンサートのキャパシティが小さいのはCDが売れていないからだと思い知らされた。CDを買っていない人がたくさんいるのか、そもそも本当にファンの母数が少ないのか分からなくなる。何も悪くないのは分かるが、何かのせいにしてしまいたい。自分のことにはそんな風に思うことはあまりないが(結局)赤の他人であるA.B.C-Zの事になるとムカムカしてしまうのが担降りしない証拠なんだと思う。

この前Vtuberと仕事をしているVtuberのオタクと話したが、知っている中の人を消費してしまうことも、赤の他人の人生を消費してしまうのも同じくらい罪悪感があるという結論に至った。生きているだけで全員何かしらの消費者になると気付けた。

 

今は、時間短縮のために出来ていないが、高校の頃は部活が始まる前に必ずクロッキーを行っていた。

5分間はあっという間で、短い。アウトラインを取っているだけでは人にならないので、どんどん考えながら5分間手を動かし続けなければいけない。

今日は少し時間が空いたので、去年までの非常勤の講師の作品を見ていた。ペインティングをあまり用いずに制作を進めるには、呼吸をするように何かしら生み出さないとダメなんだと今更知った。

この文章も、指導案を提出してチェックしてもらっている間に書いている。

何にも慣れないまま、分からないまま強制終了させられてしまうのだ。

 

11/17(めっちゃネガティブな気持ちを思い出しながら書いた 今はHAPPYです比較的)

実習中はずっと疲れていた。疲れからかネガティブなことばかり考えてしまうようになってしまう。

CDが売れていなさすぎる事にどうしても怒りが湧いてしまう。普段あまりムカムカしてもすぐに忘れてしまうのだが、アイドルのことになると感情がずっと続くことが多い。

社会人が多いはずなのに、どうしてと思ってしまう。無理して買わなくていいという風潮になりつつあるのだが、無理して買わなくても数字が出る段階じゃないのだから今は無理しないといけないのでは?と思ってしまうし、怒りムカムカの矛先は全く知らない人間に向けられる。

知らない人間にアイドルというフィルターをかけるとオタクと化して怒りの矛先になってしまう。