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神様

罪悪感についてのアンケート結果

先日からずっと募集していたアンケートの集計ブログです。

docs.google.com(現在は募集を締め切っています)

以前に書いた「ジャニオタと消費と罪悪感についてのメモ書き」から、卒制の参考に他の人の罪悪感のスイッチを知りたくて募集をかけていました。卒制自体は消費をテーマにするのに落ち着きそうなので、罪悪感についてはここでまとめたいと思います。

項目は回答者の年齢、担当の年齢、応援していて罪悪感を感じるか、罪悪感について。の4項目です。友達が、自分より年下のタレントを応援する時に罪悪感を感じる瞬間があると言っていたので、そういうことがあるのか気になって項目に入れてみました。

前述したブログから回答してくれた方が多かったので、消費についての話が多かったです(そうだろうよ)とても参考になりました。

ご協力してくださった皆さんありがとうございました!

 

人格についての罪悪感

アンケートを公開した直後に「キャラ化」についての話を書いてくれた人がいました。自分が考えていたことについて「キャラ化」という言葉がとても合っていたのでありがたかったです。後に書いてくれた消費についての話もとても参考になりました。本当にありがとうございました!

集団の中で分かりやすく受け入れやすい「キャラ」をアイドル当人が演じ続けることと、我々が「キャラ」として提示されたアイドルを純粋に受け取り消費し続けることによって、その「キャラ」から外れた振舞いを目撃した時にある種のカルチャーショックを受けてしまう、というのがアイドル(や芸能人)を取り巻く社会の現状という気がします。(参考文献:斎藤環『キャラクター精神分析──マンガ・文学・日本人』)

 この人は、アイドルという距離のある対象に関してはそういった「キャラ化コミュニケーション」に興じるべきかもしれないと述べています。

個性が重要視される環境で、キャラクターとして生きる生身の人間を、私たちもキャラクターとして受け入れていった時に生まれるギャップが罪悪感の要因に繋がっているのかと思いました。 後述する消費に近いものがあるとは思うんですけど、アイドルとしての姿しか知らないのに「こういう人だ」と自分の人格形成をしてしまうことに対する罪悪感です。「勝手に期待」「勝手に想像」と、アイドルの向こう側をオタクが色々考えてしまう行為そのものが罪悪感に結びつく人もいるようです。

彼らが築き上げてきた人生を素晴らしいストーリーだと噛み締め、ひとりひとりの個性をなんて美しいキャラクター性だろうと味わっています。私は結局、彼のアイドルとしての旨味の賞味期限が来る前に吸い尽くそうとしているだけなのかもしれません。 

こちらがアイドル以外の部分に勝手に期待して、勝手に失望する時に罪悪感を感じる。理由は"アイドル"の仕事に対する期待はしてよいが、それ以外の面において期待をしたり失望したりするのは求めすぎだと思っているため。

自担は他人である以上、おたくには人となりや性格が分からないはずなのに、勝手に想像したり、他人の想像した人格にケチをつけたりすることです。

わたしも好きなコンビの説明文を読んで「このコンビはこんな関係じゃない」と怒った後に虚しくなってしまったことがあります。雑誌やテレビで見る言動から「勝手」に関係性を想像して、都合よく解釈をして、それに当てはまらないような解釈や説明を見て勝手にマイナスな気持ちになってしまいました。

個性≒キャラクターなのかな〜と思いました。ただ、キャラクターと言ってしまったほうがとても理解や説明しやすい一方、消費に繋がっていくと思います。

 

人生を消費することへの罪悪感

自分のブログでは割とここを中心に書いたので、これについて色々な意見が見れました。

人の人生、人間関係、言葉を聞いてエモい、っていったり感情を借りているのってその人間そのものを人間ではなく偶像(2次元のキャラクター)と同じように見ているのでは?と思う時があります。なんなら交友関係に対してとやかくいう資格はないとわかってますが一方で文春などに抜かれたりするとしっかりして!(見えないようにして!)と嘆くのとか正直グロテスクですし申し訳ない気持ちになります。でも他の誰かじゃなくてその人がいいってなるのも因果なものですよね…

アイドルの言動を都合の良いように解釈していると感じたとき。メンバー同士の関係性に沸くとき、人間関係を消費している感覚になるときもあります。

個人を消費しているということ、本人の意思の有無、無意識に呪いをかけているのではないか

いつも担当のエピソードや好きなコンビのエピソードを聞いて「めっちゃ最高〜!」と思っていますがたまに「生きている人間の人生を面白がってるってすごくいやだな」と思う事があります

ジャニーズを好きになってから他人の人生を一方的に消費していることに罪悪感を感じています。特にそれを感じるのは、テレビやコンサートでアイドルが涙を見せた時「ラッキー♪」と思ってしまう自分がいることです。好きな人が悲しんだり悔しい思いをしているのをレアな出来事に遭遇できたとばかりに喜んでしまう自分が気持ち悪いなーと思います。でもわたしの担当(宮近くん)が以前自分の活動について「残酷さもエンターテイメントになるから…」と言っていたのを知って少し救われました。 

アイドルの人生をエンタメとして消費している感覚に陥った時。

私が趣味として楽しんでいることは自担の人生そのものであり、他人の人生を娯楽として消費していること。

本人はそんなことはないのかもしれないけれど、ファンの方を向き過ぎていて自身の何か(主にプライベート面)を犠牲にしてしまっているのではないかという気持ち。「やりたくてやっている」ときっと言うのだろうけど、アイドルという「人間」を消費させて貰っている者としてどうか幸せであって欲しい。

人格と消費はだいぶ繋がってるとやっぱり感じたのですが、読んでいてどちらに重きを置いているかこっちで判断して分けさせて頂きました。繋がってはいると思います。

個人的に、人格を勝手に解釈することで一つ、解釈した人格を消費するでまた一つにカテゴライズされるんじゃないかなと思いました。

全くの他人の人生を消費することへの罪悪感に気付いた時に、どういった対処をするようにしているのか気になりました(そう考えると、宮近くんの言葉ってすごいなと思います。エンタメとしてという理由で人生を見せてくれる存在〜)

同じ内容のものを複数購入したとき

成人しているとはいえ、学生の身分で実家でお世話になっている自分が、親にごまかしたり黙ったりして時間やお金を使っていること。

同じものを複数買うことについての後ろめたさ。自分自身で稼ぎ、きちんと貯金もしているが、「お金を大切にしなさい」と教育してくれた親に対しての気持ちが一番大きいと思う。(中略)自身で稼いでいるし、独身なので本来であればそこまで罪悪感を持つべきものではない気がする。

有料チャンネルのドラマに出演が決定しても加入してまで視聴しないな…と思ってしまうこと。会費を払っているのにブログなどを読むのを溜めてしまっていること

自分が心身共に疲れ果て過ぎて、新曲CDを予約することも発売直後に買うことすら出来なかった時。担当じゃなくて、結婚相手が嫌いすぎて担降りしてしまった時。 

物理的な消費の方です。枚数を重ねてしまう、買えなかったなどどちらにも罪悪感が生まれていました。

買いすぎても、買わなくても罪悪感が出てくるので、自分にとって適正な枚数を見極めるのが精神衛生を保つのにとても重要になるのではないかなと思いました。

わたしは何十枚も買うタイプではないのですが、オリコン結果を見て「もっと買えばよかった」となる一方「1人で何十枚も買うよりたくさんの人が1枚買ったほうがいい」と思ってしまいます。数字でなんでも見られてしまう今の価値観が少し苦しく感じます。

自Gが数字で見られたくないと言って送り出されたのにな〜と思ってしまうしビルボ対策アカウントにいい思い出がないのでオタク向いてないな〜。

 

尊先と自分を比べてしまう罪悪感

私はジャニーズ以外にも好きなコンテンツがあるので、応援している時に、ファンに沢山の愛を伝えてくださっている姿を見ると私はその愛を受け取るのに本当にふさわしいファンなのだろうか、失礼なんじゃないだろうかと罪悪感を抱きます。

ドキュメンタリー等で練習している姿を見た時に「担当はこんなに頑張っているのに私はダラダラ生きているだけだな」と思う時がある。 

自担、グループがしっかりとても素敵な大人になっているのに、自分はいつまでも変わらない・成長できないと思って、励まされる資格なんてないーと思ってしまう瞬間があります。結婚して子供もでき、環境は変わっても中身が子供なので、落ち込んでいるときなど自グループが眩しすぎる 

  アイドルとファンとの関係としてとても美しいと思いました。わたしは、アイドルのことを神様と思うところから始め、今も自分とアイドルを切り離した存在として見てるのでアイドルのことをしっかりと1人の人間として応援して尊敬しているんだなと感じました。

ドキュメンタリーだとか、ブログで見える自担の言動をまっすぐ受け止めたからこその罪悪感ではないかと思います。逆にアイドルはアイドルとして存在し続けるための努力は当たり前と思う人もいるのかな〜どうなんだろ。

 

アイドルの年齢を考えた時の罪悪感

未成年、あどけない子たちの裸に近い状態を見た時。(雑誌等での上裸セクシーショット、水着jr.)

未成年を応援していて本当に許されることなのか、未成年をこんなしょうもない大人が愛でていて、本当に彼は嬉しいのか……?と心苦しくなり、それが罪悪感になる。

結婚されてる方を応援してもいいものなのだろうか。

子供欲しいんだろうなあとか子供の話をしたいんだろうなあと感じるとき(でも子供の話をして欲しいとは思ってない)

  友人は、17歳のアイドルが若さを売りにした時に罪悪感を感じると言っていましたが、水着や上裸のショットを見た時もやはり罪悪感を感じるという回答がありました。水着jrは夏の季語だけど、今の価値観だと少し見ていてドキドキしてしまうのではないかと思います。

また、40代のアイドルを応援されている方からは結婚していたり子供について言及することについての話も頂きました。アイドルの語源は偶像であることを強く実感しました。偶像である彼らに家族ができていく過程が見れるようになったのは良いことなんだろうけど、素直に喜べないんだろうなと思いました。推しの幸せを願いたいのに、いざ結婚してしまうと純粋に応援できるか不安になってしまうのではないのかと思いました。

 

性的消費、ルッキズムに関する罪悪感

雑誌等の媒体に、セクシーな写真と、本人が言わなそうな台詞(ex.抱いてやるよ、もう離さないetc.)が書かれている時。 

(セクシーさを売りにしたパフォーマンスだとわかったうえで)担当をエロい目で見たとき

表(鍵なしアカウントなど)ではオタクとして純粋に応援しているが、頭の中では性的消費しまくっているとき。 

自分が性的な眼差しで見られたくないのに自担を性的な眼差しで見ているとき。

ルッキズム等差別に関する勉強を大学でしているのに、顔を売りしているジャニーズを好きでいること。

 性的消費についてのあれやそれやが今問題になっていますが、個人でも性的なパフォーマンスや、性的消費について罪悪感に繋がる回答がありました。

回答にはなかったんですけど、露出だけでなく腰を突き上げるような振り付け(それに対する歓声は花火の時の掛け声と同じというツイートも見ましたが)を見た時にもそういった気持ちになるのではないのでしょうか。

某映画の時に「美人教師」についての話をしている人がいました。「美人画家」「美人選手」などのカテゴリ分けはわたしも好きではないので、確かにジャニーズという顔を売りにしている人たちを好きになるのは複雑だと思います。じゃあイケメンタレントにしろよみたいな、、。

12/3追記

色々見て思ったんですけど、ルッキズムとアイドルを好きになるのはまた違うベクトルなのかなと思います。ルッキズムは美しいものしか価値がないと思うことであり、美しいアイドル以外は価値がないと思っている人はなかなかいないんじゃないんでしょうか。

 

以上です。意見一つ一つがとても参考になりました。回答していただいたみなさまありがとうございました!

卒制ですが、オンラインになってしまったので悲しいんですけれども、もしオンラインで良ければ見てやんよ!という方がいたらリプライなりして欲しいです〜。

都内の美術館で展示予定でもあるので、開催ができればTwitterでも多分宣伝します。

 

ありがとうございました。

あと何かあったらマシュマロください。寂しいので。

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