やったね

神様

ジャニオタ卒業制作

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無事!卒業制作が終わりました。よかった〜。

以前からTwitterとかブログでも言及していた通り、アイドルをテーマにずっと制作を続けていたので、卒制でもアイドルから広げたもので制作出来たので良かったです。

教授陣とか、学校に提出したものはぼやかしながら説明したものがあったので自分用として、改めてここで意図について記します。

 

美大に入ってから周りの凄さに圧倒されっぱなしで、自分がいかに絵が下手でおもしろみのない人間だと思い知らされ、自信がなくなっていました。そんな時、自由に何をやっても大丈夫という課題を与えられ、そこで塚田くんにまつわる作品を制作し、そこで大きく手応えを感じたところから、アイドルという概念とわたしの戦いは始まりました。

たまたま塚田担だったので、アイドルという代名詞を用いて塚田くんの写真だとか言動を作品に用いていたんですけれども、制作の一環として(???)ジャニオタを続けているうちに、塚田くんが分からなくなる瞬間が多々訪れました。

塚田担のわたしは自担のことを塚ちゃん呼び出来なかったり、たまにブログで垣間見る塚田くんの思考に圧倒されてきました。でも、パッとテレビをつけると、そこにいるのはいつもの天真爛漫塚ちゃん⭐︎でギャップで混乱していました。

論語を読み、性善説を信じ、勉強が得意な塚田くんと、バラエティで天然おバカキャラとしていじられまくる塚ちゃん、どちらが本物の塚田くんなのかわからなくなりました。多くのオタクは、自担のギャップ最高〜!となると思うんですけど、塚田担は一層ギャップのエグさに毎回慄いていました...。

なので、わたしはなるべく塚田くんの生のインタビュー(ドル誌よりはインターネットや別媒体の雑誌、テレビで喋る内容)をなるべく純粋な塚田くんとして摂取し、その成分をパブリックイメージである塚ちゃんに貼り付け、純度の高い塚田くんを推すようにしていました。

そして気づいたら拗らせ同担拒否気味オタクが誕生していました。なんで??

自分の解釈と合わない人が嫌になり、知らない同G担界隈が怖くなってしまいました。同じものを見ているのに、なんでそういう風に解釈するの?と憤りを感じるようにもなってしまったのでアカウントも移動させ、なるべく外部と関わらないようになりました。

この解釈は、見てきたものの厚さとか、媒体、時間によって変わるので当たり前なのですが、会ったこともない知らない人にそんなにムカムカしてしまうなんて、アイドルとはすごいフィルターだなあと思うようになります。

そんな風に外部との塚田くんの解釈にハテナを浮かべながら2020年を迎えます。

 

2020年は、オタクや本尊にとって(もちろんこの世の全ての人にもですが)試練の年になりました。今も何が何だか分からないまま過ごしているんじゃないでしょうか。

以前のブログでも書いたんですけど、そんな中A.B.C-Zの「どうがでこうかんにっき」は、わたしにとって嬉しいオタクとして供給になると共に、アイドルをテーマに制作を続けている人間としてちょっとしんどいコンテンツでした。

スマホを開けばA.B.C-Zが(しかも私服で自宅から)メッセージをくれるのは、さまざまな意味でA.B.C-Zとわたしたちの距離がグッと縮まりました。

でも、わたしは塚田くんのことを遠い存在のアイドルとして応援していたので、塚田くんだと分かっていても、そこにいるのが成人男性に見えてしまっていたのです。

 

コロナでめちゃくちゃになる1番最後に塚田くんを見たのが、チートタイム発売の時に遭遇した時だったのも大きかったです。その時も、興奮したは1番最初だけで、後々思い返すと(特別な思い出にはなったけれども)アイドル塚田くんと、一般男性が同時にいるぼやけた、見てはいけないものを見ちゃったのかなと考える様になりました。

同じくらいの距離でファンサを直に貰った時にはなかった感情です。

 

結果的に、消費(見ているもの)している対象が曖昧になってしまったように感じました。今わたしが画面越し(フィルター越し)に見ているのは誰なんだ?と感じるようになりました。

その対象が、ただただアイドルの衣装を着てキラキラと歌って踊る様子だったら、まだ気にしなかったのですが、そこに居るのは成人男性の様にも見えたので「ああ、わたしは生身の人間を消費しているんだ」と思うようになります。

どうがでこうかんにっきが終わってからも、毎日塚ブロも裏塚ブロもチェックしていましたが、やっぱり画面の向こうにいる存在はぼんやりしているのでした。その景色が、コロナ禍で当たり前になったビニール越しに見える風景に重なりました。

 

いま自分が感じている塚田くんへの曖昧なぼんやりとした距離感と、ビニールによって全てが有耶無耶になった状態を一緒くたにして、混沌とさせたかったのです。

結果的に、わたしの作品は映像をビニール越しに流し、ぼんやりと見せるものになりました。

 

映像は、何種類かあり、全てわたしが映っています。ご飯を食べたり、粘土を捏ねたり、自分なりの消費活動をしている様子を見せつけることにより、鑑賞している人に消費者になってもらうことを狙いとしました。

机上には、読み込むとステイトメントを読むことができるQRコード、動画内で出てきた粘土を重ねて解釈を表現したフィギュア、本尊代わりリパダイのアクスタを置きました。

全体的に混沌とさせたかったので、いい空間が出来たんじゃないかなと思います。

 

美大に通うジャニオタが全員自担のことを題材にする訳ではないのですが、自分は自担をイメージした作品が作れたので、美大生のジャニオタがどんな作品を作るのか気になりました。

 

おわり